御柱祭の概要

※写真提供:諏訪市観光課・長野県観光協会 山出し(上社)

諏訪大社では7年に1度(数え、実質は6年に1度)の寅と申の年に宝殿を新築し、社殿の四隅にある樅(モミ)の大木を建て替える祭りを行います。
この祭りを「式年造営御柱大祭」、通称「御柱祭」と呼び、諏訪地方の6市町村(諏訪市・茅野市・岡谷市・下諏訪町・富士見町・原村)21万人の氏子が参加する天下の大祭です。
毎回4月に上社山出し(山から里へ曳き出す)・下社山出しが、5月に上社里曳き(神社までの道中を曳き、御柱を各社殿四隅に建てる)・下社里曳きが行われます。
【2010年諏訪大社御柱祭】
「上社・山出し」4月2日(金)~4日(日)
「下社・山出し」4月9日(金)~11日(日)
「上社・里曳き」5月2日(日)~4日(火)
「下社・里曳き」5月8日(土)~10日(月)

 

御柱祭は諸説ありますが、日本三大奇祭として、なまはげ(秋田県男鹿市)、吉田の火祭り(山梨県富士吉田市、北口本宮冨士浅間神社)とともにあげられています。
山中から御柱として樅(もみ)の大木を16本(上社本宮(諏訪市)・前宮(茅野市)、下社秋宮・春宮(下諏訪町)各4本)切り出し、長野県諏訪地方の各地区の氏子の分担で4箇所の各宮まで曳行し社殿の四方に建てて神木とする勇壮な大祭です。


御柱祭の流れ(上社の場合)

御柱祭は祭りの当該年だけではなく、それ以前から周到に準備をし、祭りに臨みます。

 

仮見立て

御柱祭の2年前、上社本宮と前宮に建てる8本の柱の仮見立て(候補の木選び)が行われます。
上社の社有林である、八ヶ岳山麓の御小屋山(おこやさん)中の木から選ぶのが通例ですが、用材の不足により2010年の御柱は、隣接する蓼科国有林及び、立科町有林の木が選ばれています。
樅(モミ)の木が御柱の用材として適切な大きさになるまでには150年以上かかる、と言われており、現在では樅(モミ)の木の植樹などを行い、後世に歴史・伝統を残すことができるように地域で豊かな森造りの活動を行っています。

 

本見立て
上社山出し

御柱祭の前年に、上社本宮と前宮に建てる8本の柱の本見立て(候補の木決定)が行われます。
仮見立てで決めた候補の木を正式な御柱用材に決める祭事です。

 

御柱抽籤式

上社の御柱祭では、本宮一~前宮四までの計8本の御柱を、上社担当地区による籤引で決定しています。
(※諏訪市の上諏訪地区は下社の地域となっています。)
この籤引を「御柱抽籤式」と呼び、御柱祭の行われる年の2月に行われています。
それぞれの地区にふさわしい柱が授かるよう地区が一丸となり、この抽籤式を見守ります。
【2010年諏訪大社御柱祭御柱担当地区(上社)】
本宮一之御柱・・・諏訪市中洲・湖南地区
本宮二之御柱・・・富士見町本郷・落合・境地区
本宮三之御柱・・・茅野市ちの・宮川地区
本宮四之御柱・・・茅野市北山・米沢・湖東地区
前宮一之御柱・・・諏訪市四賀・豊田地区
前宮二之御柱・・・原村・茅野市泉野地区
前宮三之御柱・・・富士見町富士見・茅野市金沢地区
前宮四之御柱・・・茅野市玉川・豊平地区

 

なお、下社の御柱は申し合わせにより曳行を担当する地区があらかじめ決められている為、抽籤は行われません。
ちなみに、担当地区は次のとおりです。
(※( )の担当地域は里曳き初日、《 》の担当地域は里曳き2・3日目)
秋宮一之御柱・・・下諏訪町1・2・3・7・9区(岡谷市川岸)《諏訪市上諏訪》
秋宮二之御柱・・・諏訪市上諏訪(諏訪市上諏訪)《岡谷市湊・川岸・長地》
秋宮三之御柱・・・下諏訪町4・5・6・8・10区(下諏訪町2・3区)《岡谷市旧市内全地区》
秋宮四之御柱・・・岡谷市旧市内岡谷・新屋敷・小尾口(下諏訪町4・5・8・10区)《下諏訪町》
春宮一之御柱・・・岡谷市旧市内小井川・小口・今井・西堀・間下・上浜・下浜(岡谷市旧市内全地区)
春宮二之御柱・・・岡谷市長地(岡谷市長地)
春宮三之御柱・・・岡谷市川岸(下諏訪町1・6・7・9区)
春宮四之御柱・・・岡谷市湊(岡谷市湊)

 

木造り

御柱の整形(皮むき)や曳き綱・メドテコの穴を空ける作業を「木造り」と言い、「山出し」が近づくと日を決めて、担当する御柱ごとにこの作業を行います。


 

山出し

「里に下りて神となる」・・・いよいよ御柱の曳行が開始されます。
「綱置場」から、御柱の巨木が1本また1本と動き始めます。
■スケジュール・臨時駐車場はこちら■でご確認いただけます。

御柱(上社)

 

上社山出し

山出しでは茅野市、原村境の「綱置場」から茅野市安国寺の「御柱屋敷」までの御柱街道と呼ばれる約12kmを本宮一之御柱、前宮一之御柱から前宮四之御柱の順に曳行します。
上社の御柱には「メドデコ」と呼ばれるツノのようなものが取り付けられます。
上社の祭神が男神であることから、その象徴であると言われていますが、起源は定かではないようです。
ここに「メド衆」と呼ばれる若い衆が乗り、「おんべ」をふりつつ曳行の音頭を取り、舵取りの指示をし、また祭を華やかなものへと盛り上げます。
御柱祭のおんべの房は、トウヒやヒノキなどの木を薄くスライスしたもので、一見ビニール製のように見えますが、実は職人の手による手作りの木製で、カラフルなものは着色されています。
御柱の曳行には、地区の旗を持って先頭を行く「旗衆」、合図の木遣り歌を歌う「木遣り衆」、景気付けの鼓笛隊・喇叭隊(ラッパ)、テコ棒を使い舵取りを担当する「てこ衆」、元綱や追掛綱係の人、そして多くの曳き子の人達という、数々の役割と、膨大な数の人々が関わっています。
長さ20m弱、最大周囲約3m、重さ10トンにもなる御柱を曳行するのには、心をひとつに・タイミングと力を合わせなければなりません。

 

山出し(穴山の大曲)
上社山出し

上社の御柱の通り道「御柱街道」は、茅野市穴山地区に差し掛かると急に道幅が狭くなります。
大きく張り出したメドデコの先端が道の両側の民家の軒先に触れないかと気にかかる頃さしかかるのが第一の難所、穴山の大曲。
道が狭い上に屈折しており、巨大な柱をうまく操ってスムーズに通過させるのは至難の業。
木遣りの声を合図に、男綱・女綱と呼ばれる曳き綱を引き、梃子棒をかませ、御柱はゆっくりとこの難所を通過していきます。

 

山出し(木落とし)
上社山出し

2日目の難所は、茅野市宮川小学校の脇にある斜度27度の木落し坂。
眼下の群衆を前に坂の上から徐々に姿を現す御柱。
「ここは木落しお願いだー」の木遣りに乗って、めどでこに大勢の若衆を乗せたまま、せり出した御柱を後方で支える追掛綱が断ち切られ、左右に大きく開いた曳綱の間を、ドンッと地面を揺さぶりながら、御柱の巨体が落ちていきます。
柱が一気に急坂を下ると沸き起こる拍手と歓声。
木落しは、男たちの度胸の見せ場であると同時に、「いかに綺麗にメドデコのV字を保ったまま、坂を下りるか」の綱係や梃子衆の技の見せどころ。
大歓声の中、御柱は技と度胸によって坂を下ります。

 

木落しを終えると、鉄道のガードをくぐり、狭い住宅地を抜けるために、一旦メドデコが取り外されます。
無事広い道に出ると、再びメドデコが取り付けられ、派手な曳行が再会されます。

 

山出し(川越し)
上社山出し

木落し坂を過ぎると待ち受けるのが、山出し最後の難所、宮川の川越しです。
御柱を宮川の雪解け水で洗い清める意味があるといわれ、水温10度以下の身を切るような冷たい流れに、我先にと飛びこむ姿は壮観です。
メドデコを左右に振りながら静かに水に入る柱、水しぶきも豪快に一気に落ちる柱、皆ずぶ濡れになりながら川を渡ります。

 

川越しを終わった8本の御柱は、安国寺の御柱屋敷に曳き揃えられ、5月の里曳きまで安置されます。


 

御柱休め

前回の御柱祭で建てた柱を倒す「御柱休め」。
本宮の4本の御柱は八竜神社へ曳行され、前宮の4本の御柱は地元地区に払下げとなります。
新しい御柱をお迎えするための準備となります。


 

里曳き

山出しから1カ月。
晴れの舞台を待っていた御柱に、いよいよ華やかな里曳きの時がやってきます。
■スケジュール・臨時駐車場はこちら■でご確認いただけます。

上社里曳き

 

上社里曳き

御柱屋敷を出た御柱は、大勢の氏子と見物客の中を、各社に向かってゆっくりと優雅に進みます。
里曳きは、山出しの豪快さから趣を変え、華麗で豪華な昔ながらの行列が特徴です。
騎馬行列や長持ち、花笠踊り、龍神の舞などが繰り出して御柱行列を盛り上げます。
騎馬行列は江戸時代の御柱警護が始まりとされ、往時の面影を色濃く残しています。
長持唄や長持甚句が唄われる長持行列も伝統的な姿を披露してくれます。

上社里曳き

 

里曳き(冠落し)

本宮・前宮に曳きつけられた御柱はメドデコを外し、御柱の頭を三角錐に切り落とす「冠落し」を行って、御神木としての威儀を正します。

 

里曳き(建御柱)

冠落しが終わった御柱にワイヤーやロープを付け、掛け声に合わせて車地が巻かれると御柱はゆっくりと立ち上がり、やがて直立。
先端に乗る氏子の手によって長さ1.5mの大御幣が打ち付けられると奥山のモミの大木は神となるのです。
翌日に御柱の根元を大木槌で叩いて固める御柱固祭が行われ、仮見立てから2年に及んだ柱の曳き建てが幕を閉じます。

上社里曳き(建御柱1)上社里曳き(建御柱2)上社里曳き(建御柱3)

御柱祭の流れ(下社の場合)

下諏訪町の東俣国有林から切り出される下社の御柱。
その仮見立てが行われるのは上社よりさらに早く御柱年の3年前。
そして2年前の本見立てを経て1年前に伐採されます。
御柱は山出し開始地点の「棚木場」に運ばれ翌年の山出しを待ちますが、伐採が早い分、木が乾燥し重さは上社よりも軽い6~8トンということです。
下社の御柱は大正時代以来、曳行を担当する地区が決められているため、氏子たちは早々と準備を始めます。
狭い道路を曳行することや、御柱祭のステージごとに曳行する地区が変わることもあってか、下社の御柱にはメドテコはついておらず、そのままの御柱を曳行することとなります。


 

下社・山出し

東俣川の渓谷沿い、山腹の棚木場(たなこば)で一年間ひっそりと眠っていた御柱が目を覚まし、ゆっくりと進み始めます。
4月とはいえまだ寒い風の中、初日、2日目と順に目を覚ました御柱は、いよいよあの坂「木落とし坂」へと向かっていきます。
■スケジュール・臨時駐車場はこちら■でご確認いただけます。

 

下社・山出し(木落とし)
下社木落とし

萩倉の集落を抜けると急に眼前が開ける、そこが世に名高い木落し坂。
最大斜度35度、距離100m。御柱が姿を見せると、砥川の河原を埋め尽くした大観衆から一斉にどよめきがわき起こります。
そんな観衆をじらすかのように見えを切ってみせる氏子たち。
御柱に跨った命知らずの若衆が、緊張の面持ちでその瞬間を待ちます。
木遣りにのって頭を突き出す御柱。
観衆の緊張が最高潮に達した瞬間、御柱を引き止めていた綱が切られ、御柱は土煙をあげ轟音を響かせながら猛然と坂を突き進んでいきます。

 

注連掛

絶叫とも悲鳴ともつかぬ大歓声。
最後まで振り落とされず無事乗り切った者は満場の喝采を浴び、後世まで語り継がれるヒーローとなります。
「男見るなら七年一度、諏訪の木落し、坂落し」と歌われるわずか数秒の壮絶なドラマに全身全霊をかけ、男たちは木落しに挑みます。

 

龍か大蛇の化身かとも思われるように猛り、吼え、転がりながら坂を落ちた御柱はふたたび穏やかな表情に戻り、さらに1km程の道のりを注連掛(しめかけ)まで曳かれて行きます。
そして5月の里曳きまで静かな休息の時を過ごすのです。


 

里曳き(建御柱)
下社里曳き

野山の緑が一段と鮮やかになる5月。
いよいよ御柱祭の最後を飾る下社の里曳きが始まり、注連掛(しめかけ)に眠っていた8本の御柱が出発します。
また、秋宮から春宮へ御柱行列が差し向けられます。
国道142号から旧中山道へ入った御柱は、短いながらも急な坂を下って春宮境内へ曳きつけられ、春宮一の柱はその日のうちに建てられます。
秋宮の4本の柱は春宮境内を経て下馬橋の前で初日の曳行を終えます。
■スケジュール・臨時駐車場はこちら■でご確認いただけます。

 

【春宮口の木落し】
入口は短いながらも急坂で、御柱が氏子を乗せたまま滑り落ちるミニ木落しに観衆が沸きかえります。

 

下社建御柱

下社の里曳きも山出しの豪快さとは対照的に華やかな雰囲気に包まれます。
騎馬行列や花笠踊り、長持行列などが華麗な道中絵巻を繰り広げますが、中でも下諏訪町東山田地区の長持は、徳川家康の六男松平忠輝公の筆になる標示札を受け継ぐ伝統あるもので、江戸時代の様子をよく伝えています。
春宮から秋宮までは市街地が曳行のコースとなるため、大勢の見物客で御柱の最後を飾るにふさわしい賑わいを見せます。

 

上社同様、先端を三角錐に整える「冠落し」の儀を行った後、何本ものロープが取り付けられ、車地と呼ばれる道具を氏子が力を合わせて巻き上げると、御柱は徐々に立ち上がって行きます。
てっぺんで意気揚々とおんべを振る天端乗りは、御柱を豪快に演出します。
わき起こる拍手と喝采の中で神となる巨木。
山出しから二カ月にわたって繰り広げられた柱の曳き建ては幕を閉じます。

下社木落とし坂下社木落とし2下社建御柱
VN:F [1.9.3_1094]
この記事のお役立ち度を星の数で投票!あなたの投票が書いている人を勇気づけます
5.0/5 (1 vote)

御柱祭

御柱祭外観御柱祭写真2御柱祭写真3

信州・諏訪大社 7年に一度の天下の大祭「御柱祭」。

信州・諏訪大社では7年に1度(数え、実質6年)の寅と申の年に宝殿を新築し、社殿の四隅にあるモミの大木を建て替える祭りを行います。
この祭りを「式年造営御柱大祭」、通称「御柱祭」と呼び、諏訪地方の6市町村21万人の氏子がこぞって参加する天下の大祭です。

住所諏訪市中洲宮山1
電話0266-52-1919
ホームページhttp://www.onbashira.jp/
駐車場臨時駐車場が設置されます。