桑原城址

桑原城址から見る諏訪湖

桑原城址

桑原城址

桑原城址は、山城であり今では城郭址のみとなっています。
諏訪から霧ケ峰へ向かう道路から山道を登ること約500mです。
車で行くこともできますが、主要道路から約500mは急坂の砂利道となり、車高の低い車だと底がする可能性があります。
突き当たりに車をとめて、さらに10分ほど歩くと桑原城址に到着です。
ここからの諏訪湖の景色もおすすめです。
晴れて空気の澄んだ日には、遠くに北アルプスも望むことができます。
戦国大名の諏訪氏滅亡の舞台と図らずもなってしまった場所です。


桑原城概略図

(桑原城案内板より)
桑原城は、戦国時代の山城であり、諏訪惣領家の本拠である上原城(茅野市)の支城の役割を担った重要な場所でした。
天文4年(1535年)には惣領家の諏訪頼満と甲斐国守護の武田信虎が諏訪社の宝鈴を鳴らして和睦、信虎の娘禰々が頼満の孫頼重に輿入れ市、諏訪・武田両家は同盟関係を結んでいました。

桑原城址

その関係が崩れたのは、惣領を継いだ諏訪頼重が天文10年(1541年)に関東管領上杉憲政と単独で講和を結んだことに対する報復か、翌天文11年(1542年)、父信虎を追放した武田晴信(のちの信玄)が諏訪に攻め入ったことによります。
上社神長の記録「守矢頼真書留」によれば、そのころ諏訪では災害や飢饉、対小笠原氏や佐久方面での戦が続き、民衆が疲れ果てていたため、高遠頼継らと結んだ武田勢を迎え撃つ勢力には差が歴然とそていたといいますが、頼重は奇襲策を嫌い、正々堂々と戦おうとしていました。

7月2日夜、劣勢のまま居城である上原に火をかけて桑原城へ退却、3日の夕方には、戦闘に備えるために検分をしようと「つるね」(足長神社へ続く尾根か)を下った頼重を見た家臣が、頼重が城を捨てたと思い逃げて行ってしまったため、20人ほどで夜を明かし、4日、甲州勢の使者を受け入れ城を明け渡すことにしました。
その後、頼重は甲府へ連行され、東光寺で自刃しました。
このように桑原城は、諏訪惣領家最後の舞台となりました。


桑原城址への行き方

桑原案内看板

ここでは「JR上諏訪駅前」からの行き方をご案内します。
1.JR上諏訪駅前の国道20号線を「茅野・東京」方面へ。
2.左手に自動車学校が見えたら通り過ぎて次の「四賀」の信号を左折。
3.「四賀桑原」の信号を直進し、霧ケ峰方面へ向かいます。
4.しばらく行くと、写真の「桑原城址」の案内が見えますので、ここを右折。
5.ここから砂利道かつ急坂路になりますが、突き当たりまで行くと数台分の駐車スペースがあるのであとは徒歩で。

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桑原城址

桑原城址外観桑原城址写真2桑原城址写真3

諏訪湖が一望できる諏訪総領家の本拠・上原城の支城。

現在は、標高981m(比高差約190m)の山頂や尾根に、本丸跡、二の丸跡、土塁、空堀などの遺構が残る。城跡からは諏訪湖が一望できます。
※お問い合わせ先:諏訪市観光協会 0266-52-4141

住所諏訪市四賀桑原
電話0266-52-4141
駐車場あり(数台分)