貞松院(ていしょういん)

貞松院(ていしょういん)

貞松院

貞松院は諏訪の市街にあるお寺です。
徳川家康の子松平忠輝のお墓やのかぜの笛、城向き地蔵などがあり、諏訪氏の天然記念物のしだれ桜もあったり。
諏訪を歩いて探索するおすすめの場所のひとつです。

 

【松平忠輝】
元和4年(1618年)には飛騨国高山藩に、寛永3年(1626年)には信濃国諏訪藩に流され、そして天和3年(1683年)7月3日、幽閉先である諏訪高島城(南の丸)にて死去。


貞松院

迎冬山貞松院月仙寺は、文禄 2年(1593年)に無哲上人によって開山された浄土宗の寺で、知恩院の直末寺院である。
開基は初代高島藩主諏訪頼水。
開山当初は寺号を慈雲院と称していたが、正保 2年(1645年)10月 7日に頼水の正室の没後、2代藩主である子の忠恒が母の遺言を重んじ、母の廟所を慈雲院に建てることとし、さらに追善のために伽藍を修復し、寺領40石と広大な山林を寄進して母を中興開基に定めた。
この時から忠恒の母・貞松院の戒名に因んで貞松院を寺号とするようになった。
天和 3年(1683年) 7月 3日、諏訪に配流されていた家康公の 6男・松平忠輝が92歳で没し、貞松院に葬られ、宝永 3年(1706年)には 5代将軍綱吉から永代供養料として、御朱印30石の寄進を受け、以後徳川将軍家の菩提寺の一院となり、藩主独札、触頭として栄える。
しかし、享和と弘化の 2度の火災によって山門と土蔵を除く全伽藍を焼失してしまい、明治維新後は時代の流れから寺勢が急激に衰退してしまった。
昭和11年(1936年)、現在の本堂が再建され、現在に至っている。
又、貞松院には忠輝の遺品が数多く残されている。


貞松院の見どころなど

城向き地蔵

 

城向き地蔵

早くなくなった三代藩主忠晴の子を供養した地蔵。
両親を想うあまりに、いくら直しても翌朝には一人で城を向いてしまう・・・という地蔵が境内にあります。

 

乃可勢(のかぜ)の笛

貞松院には「乃可勢」というくずし字の入った「一節切」と呼ばれるたて笛があります。
「乃可勢」は「のかぜ」と読み、わかりやすい感じを当てるとすると「野風」となり、野を吹く風のように高く細く響き渡る音を表現している名前、とも言われています。

のかぜの笛

節の上に金泥で家紋が施されていますが、これは「織田木瓜(もっこう)紋」と呼ばれる、織田信長が使用した紋。
収納箱には、徳川家・松平家の家紋である葵紋とともに「織田信長自愛 のかせ 御笛」と書かれています。
元々織田信長が愛用していたものを、信長が豊臣秀吉に譲り、秀吉が徳川家康に譲り、家康が側室である茶阿の方の求めに応じて息子の松平忠輝に譲ったものだと言われ、バトンのように(?)伝えられた名品です。

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貞松院

貞松院外観貞松院写真2貞松院写真3

高島藩2代藩主諏訪忠恒が、生母貞松院の遺志により再興。

高島藩2代藩主諏訪忠恒が、生母貞松院(頼水妻)の遺志により再興し、貞松院と名も改めたものです。
境内には貞松院のほか、藩主の子ら、そして徳川家康の六男で諏訪に配流された松平忠輝の墓もあり、「乃可勢(のかぜ)の笛」、茶釜「古天明」など忠輝ゆかりの遺品も。
五代将軍綱吉が忠輝の供養にと30石を寄進した経緯から諏訪唯一の御朱印寺となりました。
※お問い合わせ先:諏訪市観光協会 0266-52-4141

住所諏訪市諏訪2-16-21
電話0266-52-4141
駐車場なし