温泉寺

温泉寺

「温泉寺」と聞くと、諏訪は温泉だからそれに関係する、例えば温泉を敬うために作った観光目的の施設なのかな・・・と思う方がたくさんいるのですが、そうではありません。
高島藩主諏訪氏の菩提寺という由緒ある寺なのです。
明治3年の火災で堂宇が焼失し、高島城より城門と能舞台が移築され、現在に至ります。


 

多宝塔
山門(三門)・本堂

明治に入り、温泉寺は火災となり、山門(三門)と本堂が焼けてしまいました。
山門は高島城の薬医門を移築し、本堂には同じく高島城の能舞台を移築しています。

 

梵鐘

梵鐘は天正十年(1582年)織田信忠の軍が伊那郡市田村(現高森町下市田)の安養寺から略奪して、上之諏訪(神宮寺)まで引きずってきて、そこへ捨てていったものを、温泉寺創立にあたって流用したものと言われています。

 

多宝塔

多宝塔には諏訪上社にあった鉄塔が収められています。
鉄塔といっても2メートルほどの石塔で、元来上社の御神体として崇められてきたものですが、明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の時にこの移されたものです。

 

和泉式部の墓
高島藩主の廟所

霊廟は、2代目藩主の諏訪忠恒のもの。
温泉寺は、この諏訪忠恒によって創建され、以降高島藩諏訪家の菩提寺となっています。
建立は1657年頃とされており、その後改修はされているとのことです。

 

和泉式部の墓

日本全国に平安時代中期の歌人、和泉式部の墓がありますが、ここ諏訪にもあります。
式部の伝説を語り物にして歩く京都誓願寺に所属する女性たちが、中世に諸国をくまなくめぐったから、と言われておりますが果たして諏訪の墓はどうなのでしょう・・・
目立たない場所にありますが、看板があります。

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温泉寺

温泉寺外観温泉寺写真2温泉寺写真3

高島藩主の菩提寺。

高島藩初代藩主の諏訪頼水が没し諏訪家菩提寺の頼岳寺に葬られた後、頼水の志を継いだ二代目忠恒が下諏訪町慈雲寺の泰嶺和尚を招いて開山、以来高島藩主の菩提寺となりました。
明治3年、一部焼失したが、高島城から能舞台を本堂に、薬医門を山門に移築したものです。
※お問い合わせ先:諏訪市観光協会 0266-52-4141

住所諏訪市湯の脇1-21-1
電話0266-52-4141